有栖川宮記念公園のランニングは起伏が魅力、南部坂と木下坂へ

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有栖川宮記念公園は、麻布台地の高低差を残したまま整えられた港区立の日本庭園で、東の高台から南西の低地へ向けて地面が大きく傾いています。園内の散策路は、無理をせずに歩ける道として整備されています。公園の両脇には南部坂と木下坂があります。

公園がある港区は、東京23区でいちばん起伏に富んだ区です。皇居のまわりや駒沢公園のように平らな周回路を走り慣れた人なら、この公園を起点にすると、坂を含んだ街中の走りを試せます。

目次

有栖川宮記念公園は広尾駅から歩いて約3分の起伏がある庭園

有栖川宮記念公園の所在地は東京都港区南麻布5丁目で、東京メトロ日比谷線の広尾駅から歩いて約3分です。 都心の住宅街のなかにありながら、敷地は6万7131平方メートルほど、およそ6.7ヘクタールあります。都立公園ではなく、港区立の公園です。入場料はかからず、季節を問わず一年じゅう開いています。

広い敷地があるので、歩く人もジョギングをする人も園内で過ごしています。

高台に図書館、谷の底に池という配置

園内の地形は、東側が高く、そこから谷へ向かって下がっていく形です。いちばん高い東側には東京都立中央図書館が建っています。斜面には人の手で渓流が引かれ、流れのそばでは、水遊びをする野鳥を見かけることもあります。谷の側には池があります。

起伏が生まれた理由は淀橋台が谷に削られた地形

公園の高低差は、淀橋台という台地が侵食されてできた谷の地形から来ています。

淀橋台は武蔵野台地のなかで一段高い下末吉段丘

武蔵野台地の起源は、古多摩川が運んできた土砂が積もってできた扇状地です。古多摩川の段丘面は二つに分けられ、約9万年前から4万年前にできたものを武蔵野面、約3万年前から2万年前にできたものを立川面と呼びます。

淀橋台はこの武蔵野台地にある台地のひとつです。地形学の分類でいうと下末吉段丘に属し、武蔵野段丘面と比べて高さが一段上の地形面です。荏原台も同じ下末吉段丘に入ります。神田川の北側に広がる本郷台や豊島台は、これより一段低い武蔵野段丘面です。

下末吉段丘と武蔵野段丘は、谷の入り方がまるで違います。下末吉段丘には谷がたくさん刻まれていますが、一本一本は浅く、傾きもゆるやかです。武蔵野段丘のほうは谷の数が少なく、そのかわり急な谷が入っています。どちらの段丘も、表面は武蔵野ロームや立川ロームといった関東ロームの層で覆われています。

湧水が刻んだ谷に大名庭園の池が残る

台地に谷を刻むものには、湧水もあります。湧水とは、川が台地を削って崖ができたとき、その崖の面から外へ出てくる地下水のことです。武蔵野台地は地下水が多く、量の多い湧水はさらに谷を掘り下げて、やがて都市の川の支流になります。台地の上にある谷の奥で、水を含んだ層が地表に出て湧くものは、谷頭タイプと呼ばれています。

東京都内には湧水が数百か所あります。2003年度に東京都が行ったアンケートでは、区部だけで約280か所、都内全体では707か所が数えられました。

有栖川宮記念公園の庭は、この谷と湧水を使って大名庭園として整えられたとみられます。大名庭園とは、江戸時代の大名が国元の城のなかや下屋敷、江戸の屋敷などに築いた大きな庭のことで、広さは数千坪から数万坪に及びました。多くは池泉回遊式という形式です。池泉回遊式の庭は、中央に据えた大きな池を海に見立て、まわりの起伏で山や谷や平野を表し、池を囲むように散策できる道をつけた庭を指します。17世紀に築かれ、いまも東京に残る庭園には、旧芝離宮庭園や小石川後楽園があります。

江戸時代の図面に描かれた池と、いまの池はほぼ同じ場所にあります。現在の池は大名庭園だった時代から引き継がれたものとみられます。

港区は23区で最も起伏に富み、名前のある坂は80以上

港区の地形は、北西に広がる高台と、南東の東京湾沿いの低地や芝浦の埋立地の二つに分かれます。 高台は武蔵野台地のいちばん端で、小さな丘が突き出たような形が並ぶため、23区のどこよりも起伏が大きくなっています。区内で最も高い地点は、東京湾平均海面から測って約34メートルです。

台地を刻んだのは古川(金杉川)とその支流です。川筋に切り分けられた結果、北から順に赤坂、青山、飯倉、麻布、三田段丘、白金、高輪の台地が並びました。有栖川宮記念公園が乗っているのは、このうちの麻布台地です。区の真ん中には古川沿いの平地が通り、台地と台地のあいだを谷が走る形になっています。

飯倉台地や高輪台地の東側には崖があります。縄文時代早期、約6500年前に海面が上がり、台地の東の部分が波で削られてできた崖とされています。

これだけ高い所と低い所が入り組んでいるので、港区には名前がついた坂だけで80以上あります。公園から外へ走り出すと、北へ向かっても南へ向かっても、上りか下りのどちらかにすぐ当たります。

公園を挟む坂道は南部坂と木下坂の二本

有栖川宮記念公園は、木下坂と南部坂という二つの斜面のあいだにあります。

南部坂は公園の脇を走る坂です。名前の由来は、江戸時代にこの土地に奥州の南部藩、つまり盛岡藩の屋敷があったことです。港区の地名の歴史をたどると、広尾のあたりの家並みは南部坂と木下坂の下のほうに広がっていたと記されています。二本の坂は、昔からこの地域の位置を示す目印として使われてきました。

広尾駅は、まわりの台地より低い場所にあります。駅から南麻布や西麻布、広尾1丁目から4丁目のほうへ行こうとすると、坂を上ることになります。公園沿いの南部坂も、駅から上っていく坂のひとつに数えられています。

南部坂の名前のもとになった盛岡藩と下屋敷

盛岡藩は、藩主の南部氏の名をとって南部藩とも呼ばれ、いまもこちらの呼び名を使う人が多くいます。明治維新のあと、盛岡藩は盛岡県となり、さらに岩手県へと変わりました。

江戸時代のはじめ、延宝年間(1673年から1681年)のころまでに、南部氏はこの場所に下屋敷を置いています。下屋敷は、大名が江戸に持っていた屋敷のうち、町の外れに置いた別荘や、非常のときに逃げ込む場所にあたります。広い林泉庭園を備えた下屋敷もあり、物を運び込んだり蓄えたりしやすいように、水運の便のよい場所が選ばれたこともありました。藩主が住んで政務をとる屋敷は上屋敷、その控えとして使われたのが中屋敷で、跡継ぎや隠居した藩主が中屋敷に住む例もありました。

麻布の坂道を足すなら永坂、仙台坂、大黒坂と一本松の交差点

公園のまわりの麻布には、名前に由来を持つ坂がいくつも残っています。 坂の名前の由来をまとめると次のとおりです。

坂の名前名前の由来
永坂麻布から芝のほうへ抜ける長い坂だったことが名前のもとで、命名は正徳3年(1713年)と伝わる
仙台坂坂の南側一帯が仙台藩伊達家の下屋敷だったため
大黒坂坂の中ほどの北側に元麻布の大法寺があり、港区七福神の一神として大黒天がまつられていたため

港区七福神は、港区のなかで七福神それぞれの寺社を順にめぐる習わしで、七神は恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊です。大黒天は米俵の上に乗り、打ち出の小槌と大きな宝袋を手にした姿で表され、豊作や福を招くご利益がある神とされています。

麻布一本松の交差点は、坂を上りきった長伝寺の前です。ここで道は暗闇坂、大黒坂、一本松坂、狸坂の四本に分かれます。港区の公式サイトには、麻布地区の坂の名前を集めたページもあります。

皇居や駒沢公園と違い、公園のまわりは坂を走る場所

皇居や駒沢公園の周回コースと比べると、有栖川宮記念公園のまわりは坂を含めて街なかを走るのに向いています。 主なコースを並べると、性格の違いがはっきりします。

場所距離特徴
皇居周回約5キロ都内でランナーが最も集まるスポットとされる
明治神宮外苑1.5キロランニングコースがある
駒沢公園1周2.1キロほぼ平坦な周回コース
有栖川宮記念公園の周辺―起伏があり、坂を含めた街中の走りに向く

園内の景色は桜が約11種類、紅葉は11月中旬から

園内の水辺には、石の橋が架かる渓流と池、それに滝があります。 木々の多さと水の音のおかげで、都会の騒がしさがやわらいで聞こえます。野鳥がよく来て、池をのぞくとコイやカメが泳いでいます。

春の桜は約11種類で、ソメイヨシノのほかにヤマザクラも見られます。池や小さな滝の近くなら、花と水辺の景色をあわせて楽しめます。秋の主役はモミジの赤とイチョウの黄色です。紅葉の見頃は11月中旬から、12月上旬から中旬ごろまでです。この時期は、公園のシンボルになっている騎馬像を紅葉越しに眺めることもできます。

有栖川宮記念公園の歴史は南部氏の下屋敷から始まった

この土地は、盛岡藩の南部氏の下屋敷から、有栖川宮家と高松宮家の土地を経て、1934年に公園になりました。

明治29年にあたる1896年、この土地は有栖川宮威仁親王の御用地になりました。大正2年(1913年)に有栖川宮家が途絶えると、土地は高松宮家の手に移ります。高松宮家は、子どもの福祉と教育という観点から、昭和9年(1934年)1月15日に土地を東京市へ寄贈しました。同じ年の11月17日、「有栖川宮記念公園」の名で開園しています。

開園するときには、もともとあった林と地形をそのまま使い、林泉式の公園として整えました。

かつて東京府養正館が置かれていた場所には、いま東京都立中央図書館が建っています。蔵書は約202万冊で、国内の公立図書館のなかでも最大級の規模です。

有栖川宮家から高松宮家へ受け継がれた土地

有栖川宮威仁親王の生没年は1862年から1913年です。大正天皇にとって威仁親王は兄のように慕う存在でした。そこで天皇は、第三皇子の宣仁親王に高松宮の号を与え、有栖川宮の祭祀を引き継がせました。

高松宮という名前は、香川県の高松とは関係がありません。有栖川宮家の屋敷があった京都の高松殿にちなむとされます。1934年1月の寄贈は、威仁親王が亡くなって20年目の命日の時期に重なりました。

走る前に知っておきたい園内の決まりはペットの放し飼い禁止

園内は自由に散策でき、ペット連れでも入れます。ただし、ペットを放して遊ばせることは禁じられています。 車いすに対応したトイレがあることも、港区の公式ページに載っています。

まとめ:有栖川宮記念公園は坂を含めて走るための起点になる

有栖川宮記念公園は、淀橋台が谷に削られた地形を林泉式の庭園として残した港区立の公園で、東の高台から南西の低地へと傾いています。公園は南部坂と木下坂に挟まれ、周辺の麻布には永坂や仙台坂、大黒坂など名前に由来を持つ坂が並びます。皇居や駒沢公園の平坦な周回コースとは違い、坂を交えて街なかを走るのに向いた場所です。

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