福岡国際マラソン2025のスタート時間は12時10分、平和台陸上競技場から世界への挑戦が始まる

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師走の福岡を舞台に、2025年12月7日(日)に開催される福岡国際マラソン2025は、日本のマラソン界にとって特別な意味を持つ大会です。この大会のスタート時間は12時10分、スタート・フィニッシュ地点は福岡市中央区の歴史ある平和台陸上競技場となります。1947年に第1回大会が開催されて以来、長きにわたって世界のトップランナーたちが集う舞台として君臨してきたこの大会は、2021年に一度終了したものの、2022年に復活を果たしました。2025年大会は、ロサンゼルス2028オリンピック競技大会や愛知・名古屋2026アジア競技大会の男子マラソン日本代表選考レースを兼ねており、日本のエリートランナーたちにとって世界への扉を開く重要な一戦となります。平和台陸上競技場から始まる42.195キロメートルの旅は、単なる記録への挑戦だけでなく、数々の伝説を生み出してきた聖地での戦いとして、選手たちに特別な緊張感をもたらします。

目次

福岡国際マラソン2025の開催概要とスタート時間

福岡国際マラソン2025は、2025年(令和7年)12月7日(日)に開催されます。スタート時間は12時10分と設定されており、正午をわずかに回った時刻からレースが始まります。一部の情報では12時00分スタートとの記載も見られますが、大会公式ホームページおよび福岡県庁による公式記者発表資料において12時10分スタートと明記されているため、これが正確な情報です。

この時刻設定には明確な理由があります。冬の日照時間を考慮しつつ、選手のコンディションを最適化し、さらにKBCおよびテレビ朝日系列での全国生中継を実現するための配慮が込められています。エリートレース特有の正午前後のスタートは、午前中に体調を整え、気温が比較的穏やかな時間帯に走り始めることを可能にします。

大会の正式名称は「福岡国際マラソン2025」であり、主催は日本陸上競技連盟および福岡国際マラソン実行委員会です。実行委員会は日本陸連、福岡陸上競技協会、福岡県によって構成されており、地域と競技団体が一体となって運営しています。また、スポーツ振興くじ助成金を受けるなど、新しい運営モデルを模索しながらも、エリートランナーのみが参加できる純粋な競技性は妥協なく継承されています。

この大会は、ワールドアスレティックス(WA)が認定するエリートラベル大会として位置づけられています。エリートラベルの認定は、出場選手の競技レベル、運営体制、ドーピング対策、賞金水準などが厳格な世界基準を満たしていることを示すものであり、世界中のトップランナーが目標とするにふさわしいレースであることを証明しています。

さらに重要なのは、日本陸上競技連盟が定めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)シリーズ2025-26において、最高グレードの男子G1に指定されている点です。この指定により、福岡国際マラソン2025は、愛知・名古屋2026アジア競技大会とロサンゼルス2028オリンピック競技大会の男子マラソン日本代表選考レースとしての役割を担うことになります。

日本陸連の高岡寿成シニアディレクターは、2025年11月13日の記者会見において、「世界につながるようなレースを期待したい」とコメントしています。この発言には、国内選手同士が順位のみを争うスローペースの選考会ではなく、ロサンゼルス五輪で世界と互角に戦える絶対的なスピードと強さを兼ね備えた選手を選抜したいという明確な意志が込められています。スタートラインに立つ日本人選手たちにとって、この大会は単なる優勝や自己ベスト更新だけでなく、MGCファイナリストとしての資格を獲得し、五輪への挑戦権を掴む極めて重要な戦いとなります。

平和台陸上競技場という聖地

福岡国際マラソンのドラマは、常に平和台陸上競技場から始まり、この場所で終わります。平和台陸上競技場は、福岡市中央区城内、福岡城址の広大な舞鶴公園の一角に位置する歴史的な施設です。この競技場は、単なる陸上トラックではなく、日本の戦後復興とマラソン史の幾多の伝説を見つめてきた証人といえます。

平和台陸上競技場のルーツは、終戦からわずか3年後の1948年(昭和23年)にさかのぼります。この年、戦後復興の象徴として開催された第3回国民体育大会(国体)のメイン会場として、平和台総合運動場が設けられました。陸上競技場はその中心施設であり、開会式・閉会式が執り行われています。さらに翌1949年(昭和24年)5月21日には、昭和天皇の戦後巡幸における福岡市奉迎場として使用された歴史も持ちます。その名が示す通り、平和台は戦後の日本が平和と復興への願いを込めた聖地なのです。

約25,000人を収容できるこの競技場は、陸上競技のほか、ラグビーやサッカーの試合にも使用されますが、その名が最も熱を帯びるのは師走のマラソンです。福岡市が所有するこの施設は、福岡市民にとっても特別な場所であり、毎年12月になると、エリートランナーたちの挑戦を見守る観客で埋め尽くされます。

平和台陸上競技場が福岡国際マラソンにおいて特別な存在である理由は、スタートとフィニッシュのゲートであることにとどまりません。この大会の最大の特徴は、レースの最初と最後に、競技場のトラックを周回する独特のレギュレーションにあります。

スタート時、選手たちは12時10分の号砲と共に一斉に走り出しますが、すぐに競技場の外には出ません。彼らはまず、トラックを3周し、さらに350メートルを走行します。合計約1550メートルを走った後、ようやくロードレースの旅へと出発します。これは単なる距離調整ではなく、約25,000人の観衆に対し、今から42.195キロメートルの死闘を繰り広げる全エリートランナーの顔ぶれと、序盤の意気込みをじっくりと見せるお披露目の儀式です。選手にとっては、ロードに出る前の過密な集団の中で、無用な接触を避けつつ最適なポジションを探る、最初の神経戦の場となります。

そして、この競技場の真骨頂は、フィニッシュ時にこそ発揮されます。市街地での42キロメートルにわたる激闘を終え、疲労困憊のランナーたちが競技場に戻ってきますが、彼らの戦いはまだ終わっていません。競技場に足を踏み入れた選手は、最後の力を振り絞り、トラックを1周、さらに150メートルを走らなければなりません。この最後の550メートルこそ、福岡国際マラソンの数々の伝説を生み出してきた最後の試練です。

ロードレースで決着がつかず、複数の選手が同時になだれ込んできた場合、勝敗の行方はこの550メートルのトラック勝負に委ねられます。42キロメートルを走り切った肉体で、純粋な陸上競技のスプリント能力が問われるのです。かつて瀬古利彦が、他を寄せ付けない無類のラストスパートで勝利をもぎ取った舞台も、このトラックです。選手は、ゴールのゲートが見えているにもかかわらず、もう一周走らねばなりません。この心理的プレッシャーと、最後のスプリントに要求される純粋なスピードこそが、平和台を聖地たらしめている核心的な要因なのです。

高速コースの特徴と戦略的ポイント

福岡国際マラソンは、その歴史を通じて数々の高速記録を生み出してきました。記録製造工場とも呼ばれるこのコースが速い理由は、コースレイアウトの圧倒的な平坦さにあります。コース全体の高低差は、わずか8メートルあまりです。これは、近年の都市型マラソンのように意図的に設計されたものではなく、1960年代から世界のトップランナーを魅了してきたレイアウトが、奇跡的に維持されてきた結果といえます。

この極端な平坦さが、選手にとって終始安定したリズムを刻むことを可能にし、アップダウンによるペースの乱れや無用な脚の消耗を最小限に抑えます。平坦なコースは一見すると楽に見えるかもしれませんが、実際には高速ペースを維持し続けることが求められるため、持久力と精神力の勝負となります。

平和台陸上競技場をスタートした42.195キロメートルの旅は、福岡市内を巡る複雑かつ戦略的なルートをたどります。平和台のトラック周回を終えた集団は、まず大濠公園の脇を抜け、福岡市の中心部である明治通りや昭和通りを西へと向かいます。5キロメートル地点のみつわビル前を通過すると、コースは南下を開始し、福岡市西南部を周回するルートに入ります。

このセクションは、市民の生活に密着したエリアを駆け抜けます。10キロメートル地点の白十字病院向かい、15キロメートル地点のにしてつストア前、20キロメートル地点のロイヤルホスト平尾店前を経て、中間点を過ぎ、再び北上して天神エリアを通過します。その後、東に進路を変え、大動脈である国道3号線へと合流します。

25キロメートル地点の丸新金属商会を過ぎ、レースは30キロメートル地点の井口食品名島店前へと到達します。ここまでは、有力選手たちが大きな集団を形成し、ハイペースを維持する区間となります。ペースメーカーが設定するリズムに乗りながら、選手たちは互いの動きを探り合い、後半の勝負に向けてエネルギーを温存します。

福岡のコースが真の牙を剥くのは、30キロメートルを過ぎてからです。マラソンランナーが最も苦しい30キロメートルの壁に直面するまさにそのタイミングで、コースは最も過酷なセクションに突入します。多々良川にかかる名島橋を渡り、香椎エリアへ進み、31.6375キロメートル地点のハローワーク福岡東に設定された折り返し点で、選手たちはUターンします。

この周回ではなく往復というレイアウトこそが、福岡の戦略的な核心です。往復コースの特性として、折り返しに向かう選手と、折り返してきた選手は、必ずすれ違うことになります。これにより、選手は、自分の順位、ライバルとのタイム差、そして何よりも、相手の表情、息遣い、フォームの乱れといった疲労度を、リアルタイムで視認できてしまいます。

ペースメーカーが外れ、個々の地力が試されるこの終盤において、すれ違いざまにライバルの苦悶の表情を見ることは、自らを奮い立たせる強烈なカンフル剤となり得ます。逆に、自分の苦しさを悟られまいと、あえてポーカーフェイスを装う駆け引きも生まれます。この香椎折り返しを中心とした数キロメートルは、単なるフィジカルな消耗戦ではなく、互いの魂を削りあう、むき出しの心理戦の舞台となるのです。

香椎を折り返した選手たちは、再び国道3号線を南下します。35キロメートル地点ののむらガーデンシティ向かいを通過し、40キロメートル地点の福岡銀行協会前へと到達します。この40キロメートル地点は、かつて瀬古利彦が伝説的なスパートをかけた場所とも重なり、福岡の歴史を知る観客たちは、ここでのドラマを固唾を飲んで見守ります。

そして、選手たちは福岡市の中心部へと戻り、再び平和台陸上競技場のゲートをくぐります。勝者を待つのは、観衆の喝采と、前述した最後のトラック1周プラス150メートルの試練です。ゴールテープを切る瞬間まで、福岡国際マラソンの戦いは終わりません。

2025年大会の注目選手と展望

2025年11月13日、大会事務局および福岡県庁での記者会見において、福岡国際マラソン2025の招待選手が発表されました。ロサンゼルス2028オリンピックを見据え、日本のトップランナーと海外の強豪が顔を揃える、まさにG1レースにふさわしい布陣となっています。

国内招待選手11名の中でも、特に注目すべき選手がいます。まず細谷恭平選手(黒崎播磨)は、最大の注目株の一人です。自己ベストは2時間5分台という、現在の日本トップクラスの記録を保持しています。何よりも、所属する黒崎播磨は福岡を拠点としており、彼にとって今大会は地元での凱旋レースとなります。福岡の観客は熱心で、選手の名前を呼んで応援することが知られており、沿道からの大声援が、細谷選手の背中を強力に押すことは間違いありません。

西山雄介選手(トヨタ自動車)も見逃せません。昨年2024年の福岡国際マラソンで、吉田祐也選手の日本記録に迫る快走に次ぐ、2位に入った実力者です。2時間6分台の自己ベストを持ち、福岡の高速コースへの適性はすでに証明済みといえます。昨年、目前で逃した福岡の覇者の称号を、今度こそ掴み取るべく、雪辱に燃えています。

菊地駿弥選手(中国電力)は、2025年2月の大阪マラソンで7位に入るなど、大崩れしない安定感を持つ選手です。派手さはないかもしれませんが、確実に上位を狙える実力を備えています。

日本人選手の前に立ちはだかる最大の壁が、ケニア出身のマイケル・ギザエ選手(スズキ)です。彼は日本の実業団であるスズキに所属し、日本のレースを知り尽くしています。それ以上に、彼は過去に福岡国際マラソンで2度の優勝経験を持つ福岡マイスターです。日本人選手たちが五輪選考会として、国内のライバルに気を取られている隙を、この歴戦の王者が突いてくる可能性は極めて高いといえます。

2025年のレースは、三つの異なるモチベーションが衝突する、非常にドラマ性の高い展開が予測されます。地元の期待を背負い、自己ベスト2時間5分台を持つ細谷選手、昨年2位の悔しさを知る、コース巧者の西山選手、そして2度の優勝経験を誇り、日本人選手の選考会の踏み台にされることを良しとしないギザエ選手という三者が、勝負所の香椎折り返しでどのような駆け引きを見せるか、大きな注目が集まります。

大会記録は、2024年に吉田祐也選手が樹立した2時間5分16秒です。細谷選手はこの記録に迫る自己ベストを持っており、日本陸連が世界につながるレースを期待していることからも、設定されるペースは極めて速いものになるでしょう。コンディションと戦略が噛み合えば、大会記録が更新される可能性は十分にあります。

スタート時間が12時10分と設定されていることも、記録への挑戦を後押しします。冬の福岡は、気温が比較的穏やかで、マラソンに適した気候条件が整いやすいとされています。正午過ぎのスタートは、午前中に体調を整え、最適なコンディションでレースに臨むことを可能にします。

福岡国際マラソンの歴史と伝説

2025年の選手たちが背負うものは、五輪選考のプレッシャーだけではありません。福岡国際マラソンという大会が持つ、70年以上にわたる歴史の重みです。1947年に第1回大会が開催されて以来、この大会は日本の、いや、世界の男子マラソンのエリートレースとして君臨してきました。

特に1960年代から80年代にかけては、まだ高額賞金のレースが主流になる前であり、福岡で勝つことこそがマラソンランナー最高の栄誉とされました。世界中のトップランナーが、その年の世界一を決めるために師走の福岡に集結したことから、いつしか非公式の世界選手権と呼ばれるほどの絶対的な権威を誇りました。その功績は世界陸連(WA)にも認められ、2021年、福岡国際マラソンは陸上世界遺産(World Athletics Heritage)に認定されています。

福岡のコースには、伝説的なランナーたちの幻影が刻み込まれています。福岡大学出身の重松森雄選手は、1965年大会で2時間12分00秒の世界最高記録(当時)を樹立しました。この記録は、2025年現在においても、日本人男子マラソン選手によって樹立された最後の世界記録であり、日本マラソン史に燦然と輝く金字塔です。

1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得することになる米国のフランク・ショーター選手は、その前年の1971年に福岡で優勝を果たしています。福岡での勝利が、世界への飛躍台となった典型例といえるでしょう。

日本マラソン界の黄金期を築いた最大のライバル対決、瀬古利彦選手と、宗茂選手・宗猛選手の宗兄弟にとっても、福岡は雌雄を決する最大の舞台でした。特に伝説として語り継がれるのが、瀬古利彦選手とタンザニアのイカンガー選手による死闘です。40キロメートル地点から勝負に出た瀬古選手が、最後の平和台陸上競技場のトラックで、彼にしかできない驚異的なスプリントを見せ、イカンガー選手を振り切りました。このレースでは、宗茂選手が3位、弟の宗猛選手が4位に入り、兄弟揃って上位入賞を果たしています。

瀬古選手や宗兄弟の後の時代を担った中山竹通選手も、福岡の常連でした。最初の5キロメートルを14分30秒という常軌を逸したハイペースで飛び出した無名選手に対し、中山選手が14分35秒で真っ向から追走したレースなど、彼の破天荒なスタイルもまた、福岡の歴史の一部として記憶されています。

2025年の選手たちは、この伝説の幻影とも戦わなければなりません。細谷選手や西山選手が平和台のトラックに戻ってきたとき、観客が期待するのは、単なる五輪選考の通過ではなく、かつての瀬古選手のような世界と戦う日本人の姿です。この歴史的文脈という無形のプレッシャーこそが、福岡を他のどのレースとも異なる、特別な大会にしているのです。

復活の物語-断絶から再生へ

これほど輝かしい歴史を持つ福岡国際マラソンですが、その伝統は2021年に一度、断絶の危機を迎えました。2021年3月、日本陸連は、同年12月5日に開催される第75回大会をもって、福岡国際マラソンを終了することを発表したのです。

その背景には、時代の大きな変化がありました。ランニングブームにより、東京マラソンに代表される、一般ランナーも参加できる市民参加型マラソンが人気を博す一方で、福岡国際や、同じく伝統あるびわ湖毎日マラソン(大阪マラソンと統合)のような、参加資格が極めて厳しいエリートマラソンは、ビジネスモデルとして過渡期を迎えていました。

スポンサー離れなどが要因となり、長年大会を支えてきた主催者(当時は朝日新聞社、テレビ朝日など)は、大会を取り巻く情勢は念々厳しさを増しており、継続は困難との苦渋の結論に至りました。世界遺産に認定されたばかりの伝統のレースは、第75回大会を最後に、その幕を閉じたのです。

しかし、福岡の灯は消えませんでした。福岡の冬の風物詩であったエリートレースの終了は、陸上界のみならず、福岡の市民にも大きな衝撃を与えました。復活を願う声は、やがて大きなうねりとなりました。その熱意に応える形で、KBC(九州朝日放送)、福岡県、一般財団法人福岡陸上競技協会、そして日本陸連が中心となり、新たな主催体制が構築されました。

そして2022年12月4日、福岡国際マラソン2022として、後継大会が開催されました。伝統のレースは、不死鳥のごとく第2期として蘇ったのです。2025年大会は、この第2期として開催されます。主催は日本陸連および福岡国際マラソン実行委員会(日本陸連、福岡陸協、福岡県)であり、スポーツ振興くじ助成金を受けるなど、新たな運営モデルを模索しつつ、かつてのエリートオンリーという純粋な競技性は、一切妥協なく継承されています。

この大会は、一度死を経験しました。その原因は、エリート偏重の古いビジネスモデルの破綻でした。しかし、この大会は復活しました。その原動力は、市民参加型マラソンとは一線を画す、本物のエリートの走りが見たいという、ファンの純粋な渇望と地域の熱意でした。

福岡市の応援文化と地域の魅力

福岡国際マラソンを特別なものにしているもう一つの要素が、福岡市民の熱心な応援文化です。沿道には多くの市民が集まり、選手の名前を呼んで声援を送ります。地元選手である細谷恭平選手にとっては、この応援が大きな力となることでしょう。

福岡市は九州地方最大の都市であり、交通の要衝として古くから栄えてきました。福岡国際マラソンのコースは、福岡市の魅力を凝縮したルートとなっており、歴史ある福岡城址の平和台陸上競技場をスタートし、都心部の天神、大濠公園周辺、そして香椎といった福岡市の主要エリアを巡ります。

観客にとっても、コース沿いのさまざまな場所で応援を楽しむことができます。平和台陸上競技場でのスタートとフィニッシュはもちろん、香椎折り返し付近では、往路と復路で2度選手を見ることができるため、人気の応援スポットとなっています。

スタート時間12時10分がもたらす戦略

スタート時間が12時10分に設定されていることは、単なる時間の問題ではなく、レース戦略にも影響を与えます。午前中にゆっくりと準備ができるため、選手はウォーミングアップに十分な時間を取ることができます。また、正午前後は気温が比較的安定しており、極端な寒さや暑さを避けることができます。

12月の福岡は冬の季節ですが、九州地方特有の穏やかな気候により、マラソンに適した条件が整いやすいとされています。過去の大会でも、この時期の福岡は好記録が生まれやすい環境であることが証明されています。

テレビ中継の観点からも、12時10分スタートは合理的です。ゴール予想時刻は14時15分頃となり、日曜日の午後という視聴者が見やすい時間帯に、レースのクライマックスを届けることができます。KBCおよびテレビ朝日系列での全国生中継により、全国のマラソンファンが、リアルタイムで福岡の戦いを見守ることができるのです。

平和台陸上競技場へのアクセスと観戦情報

平和台陸上競技場は、福岡市中央区城内1番1号に位置しています。公共交通機関でのアクセスも良好で、福岡市地下鉄空港線の大濠公園駅または赤坂駅から徒歩圏内です。大濠公園駅からは徒歩約15分、赤坂駅からは徒歩約10分程度で到着できます。

また、西鉄バスを利用する場合は、福岡城・鴻臚館前バス停または平和台陸上競技場前バス停が最寄りとなります。ただし、大会当日は交通規制が実施されるため、公共交通機関の利用が強く推奨されます。

観戦を希望する方は、平和台陸上競技場での観戦のほか、コース沿道での応援も可能です。特に平和台陸上競技場では、スタート時のトラック3周プラス350メートル、そしてフィニッシュ時のトラック1周プラス150メートルという独特の展開を間近で見ることができます。ゴール前のラストスパートは、福岡国際マラソンならではの見どころです。

MGCシリーズとロサンゼルス五輪への道

福岡国際マラソン2025がMGCシリーズのG1レースに位置づけられていることは、この大会の重要性を物語っています。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)シリーズは、日本陸連が定める五輪代表選考システムであり、指定されたレースで一定の成績を収めることで、MGCファイナリストとしての資格を獲得できます。

福岡国際マラソンは、このシリーズの中でも最高グレードのG1に指定されており、ここでの好成績は、ロサンゼルス2028オリンピックへの道を大きく開くことになります。また、愛知・名古屋2026アジア競技大会の選考レースも兼ねているため、2026年を目指す選手にとっても極めて重要な大会となっています。

日本陸連が世界につながるレースを期待しているという発言には、深い意味があります。過去の五輪選考レースでは、日本人選手同士が牽制しあい、スローペースでの順位争いに終始するケースもありました。しかし、五輪本番では、アフリカ勢を中心とした世界のトップランナーが刻む高速ペースに対応しなければなりません。

福岡国際マラソン2025では、マイケル・ギザエ選手をはじめとする海外の強豪が参加することで、日本人選手は否応なく世界レベルのペースに挑むことになります。この環境こそが、真に世界で戦える選手を育てるために必要なものなのです。

大会を支える運営体制とスポンサー

福岡国際マラソンの復活を支えているのは、新しい運営体制とスポンサーの協力です。KBC(九州朝日放送)が中心となり、福岡県、福岡陸上競技協会、日本陸連が一体となって大会を運営しています。スポーツ振興くじ助成金を活用するなど、公的支援も受けながら、持続可能な大会運営を目指しています。

エリートマラソンは、一般ランナーが参加する市民マラソンと比べて、参加費収入が限られます。しかし、競技性の高さ、世界レベルの記録への挑戦、そして五輪選考という明確な目的により、スポンサーや放送局、そして観客からの支持を集めることができます。福岡国際マラソンは、この新しいモデルが成功するかどうかの試金石でもあるのです。

2025年大会への期待と展望

2025年12月7日(日)12時10分、平和台陸上競技場のスタートラインに立つ選手たちは、ロサンゼルス2028オリンピックへの切符と、重松森雄選手や瀬古利彦選手が築いた伝説、そして、一度は途絶えた大会を復活させた全ての人々の想いを、同時に背負って走ります。

細谷恭平選手は、地元福岡の大声援を背に、自己ベストの2時間5分台の力を発揮できるでしょうか。西山雄介選手は、昨年の雪辱を果たし、福岡の覇者となることができるでしょうか。そして、マイケル・ギザエ選手は、3度目の優勝を果たし、福岡の絶対王者としての地位を不動のものとするでしょうか。

大会記録である2時間5分16秒の更新も、十分に視野に入ります。日本陸連が求める世界レベルのレース展開となれば、日本人選手の誰かが、あるいは複数の選手が、この記録を上回る可能性があります。高低差わずか8メートルという理想的なコースレイアウト、12月の穏やかな気候、そして平和台陸上競技場の大観衆の声援が、選手たちを後押しするでしょう。

香椎折り返しでの心理戦、40キロメートル地点からの勝負、そして平和台陸上競技場のトラックでのラストスパート。福岡国際マラソンならではのドラマが、2025年も繰り広げられることは間違いありません。

彼らが刻む一歩一歩が、福岡国際マラソンの第2期の歴史そのものとなります。その号砲が、今、鳴り響こうとしています。師走の福岡に、再び伝説が生まれる瞬間を、私たちは目撃することになるでしょう。

福岡国際マラソン2025は、単なるマラソン大会ではありません。それは、日本のマラソン界の未来を占う戦いであり、戦後復興の象徴である平和台陸上競技場で繰り広げられる、平和とスポーツの祭典です。スタート時間の12時10分に向けて、選手たちは最終調整を進め、観客は期待に胸を膨らませ、そして福岡の街全体が、この特別な日を迎える準備を整えています。

2025年12月7日(日)、平和台陸上競技場で、新たな歴史が始まります。

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